2009-03-21

「ぼくの職歴」より(10)

1959年4月京都市立皆山中学校へ(2)

ここでのぼくの本務は1年担任2回、2年担任3回、3年担任2回に学習・生活・就職の指導係、研修誌編集などであった。市のはじめたカウンセリング講習会には3月間10回の参加命ぜられ、その初の係にもなり、伝達などに当たった。ぼくは子どもらに教師に対する要求会や批判の会をつくらせ、大いに保障した。ぼくも随分生徒からやられた。

全国で実施強行された「学力テスト」は差別助長のみとしてみんなで極力反対。実施反対の闘争に分会は全市の先頭に立った。
ここには特殊学級(今の養護学級)・夜間学級などもあり、担任は全国的にも名のある人々だった。ぼくもこの学級に出て教えることがあり、障害児教育の勉強もさせてもらった。

卒業式は子どもが主役ということで壇上に立たせて、読み上げでなく、一席やらせた。めでたいことばかりではなく、保守ボスやら市会議員から文句あったが。

・・・つづく・・・

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